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■今の話題は「親友・友達」です。 ◎公の目線に左右されない、負けない。 このブログはあらゆることから独立して、自分の考えてること、書きたいこと、共感できること・・・みんなに伝える。これが、ポリシー。 最新記事
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プロフィール
HN:
松橋翔太
年齢:
34
性別:
男性
誕生日:
1990/08/31
職業:
高校生
趣味:
パソコン、ネットサーフィン、メール、友達と遊ぶこと、雑談、カラオケ
自己紹介:
親友って、誰だろうか。
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(C)松橋翔太
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The possibility is infinity. ─可能性は無限大.
2024.09.20 Fri 04:21:21
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 2006.08.03 Thu 21:38:32
これが、俺のパソコンのデスクトップ画面です...Mac?いえいえ、FreeBSDです。っていうか、似すぎですww コチラで、FreeBSDとLinuxに関するブログを展開しているので、どうぞどうぞお立ち寄りくださいましー!! 今日は、いつもと同じようにテーマは決まってません。思い付いたことから、書いていきたいと思います。 俺はツバを路上に捨てる術を知らない── 最近思います。最近後輩や友達、知り合いの挙動を見て思います。 「なぁんでツバを捨てるの?」 コレ。コレ疑問。話をしていたり、聞いている最中でふとわき見したかと思ったら、ツバをペッと路上に吐き捨てるんですよ。俺は心理学者ではないので、細かいことは知りませんが、多分、ツバを吐き捨てる、という行為が、その本人の中では"=不良"ということになっていて、ツバを吐き捨てることによって、自分は最近の若者なんだ、カッコイイんだ、などと勘違いした思いをしているのかもしれません。純粋にツバが溜って、吐き捨てる人もいますが、ココではちょっと不良ぶってるヤツが該当します。 ツバを捨てる=俺達一般ピーポーはそう簡単にできることではありません。口に虫が入ったとか、タンが出てしまって気持ち悪い、などは反射的にツバを路上に捨てますが、ここで話している人は、そういったこともないのに、ツバを路上に吐き捨てる人です。普通にはできないことを、自分は平気でしている、不良がやっていることを自分もやっているんだ...こういう意識が本人にはあると思われます。しかし、そういった意識は普段、意識化することはなく、自分とは違う誰か、そう、友達といる時にとたんに意識化するはずです。特に、自分の成長を認めてほしい人に対しては、ツバを吐き捨てる傾向があるでしょう。だから、俺がいる時には、後輩や友達がツバを何気なく、あたかも自然に吐き捨てる行動をとるようなのです。 しかし、こういう説明で、苛立ちを覚える人は、実際にツバを何気なく吐き捨てている人でしょう。不良じみた心理が働くとき、人はその不良じみる目的や、心理状態を指摘されると、えらく不機嫌になるからです。良い例が、例えば、あなたは上級生の不良じみた人に、因縁を付けられたとしましょう、その時にあなたは、その人が恐い素振りをしているのに恐く感じなかったので 「あの、全然恐くないです」 というと、不良じみた人はたちまち憤慨することでしょう。これが正常人であれば、 「恐くなんかしてねーよ」 と言い返すはずなのです(まぁ、人間様々なので例外も多くありますが)。不良じみた人には、コアの部分を指摘しない方が良いでしょう。本人は、恐さを演出しているのにもかかわらず、否定されているのですから怒るのもしょうがないことです。 ツバの件に関しても、同じとは言いませんが、「不良っぽく見せたいんでしょ?」などと言うと、本人は不機嫌になるでしょう。また、「ツバを捨てて、自分がカッコイイと見られると思う?」と言っても同様です。まぁ、どのような場合についても同じですが、自分が考えていることを人に指摘されるのは気持ちがいいものではありません。 話がそれたので、元に戻しますと、ツバを捨てる行為自体がカッコイイと思っているのです。実際は、汚い他ありません。この行為が無意識化している人もいるようです。動物で例えると、尿を電柱にかけているようなもので、汚すぎます。若いうちは、誰よりも上にいたくて、力を大きくみせたがります。だんだん大人になってくると、自分が中学時代あるいは高校時代から引きずっている、外観だけのカッコ良さを象徴する行為は行わなくなってきます。考えが大人になるにつれて、これらがあまりにも幼稚過ぎる行為に思えてくるからです。社会に出れば、中学/高校時代に行っていた行為は、「未熟者」「幼稚な人」と見られ、やがて切り離されていきます。 周りで、ツバを路上で吐き捨てる人がいたら、そっと見てないフリを。本人は、他の人が今の行為を見たことによって、「すごい」などと思っているだろうと、自己満足しているからです。無視することによって、本人は外見には表れませんが、心の中では"誰も見ていない"という寂しさを感じます。その感覚が、ツバを吐き捨て、間違ったカコツケをする人へのささやかな抵抗となります(笑)。無視は、その人へのささやかな反抗です(笑)。今まで、ツバを吐き捨てていた人、その感覚は世間の感覚とあまりにもかけなはれていて、ただの無能者にしか見えないので、やめましょう。 不良の人に反抗するには?──正常人達のささやかな反抗── 不良と、一般人(ここでは正常人)との大きな違いは、自分のエリアの大きさです。自分のエリアの大きさとは、自分の縄張のことです。電車の席で、1人分間隔を開けて座りますよね?あれは、縄張がお互いに干渉しないように、という意識の表れです。不良は、この縄張の大きさが大きいのです。また、不良は正常人のように、普通に歩くことはしません。肩を揺らして歩くでしょう。これは、肩を揺らして歩くことによって自分の縄張を大きく見せているのです。普通の人なら、肌と肌が触れ合っても、場合によっては肩がぶつかっても気にしませんが、不良の人は酷く気にし、怒り狂います。ただでさえ、自分の権力の大きさを示して、縄張を大きくしているのに、そこに人が入ってきてしかも、自分の体に触れたというのは許せないらしいのです。許せないから、ぶつかってきた人に罵ったり、暴力をふるうのです。見方を変えると、肩などがぶつかった時点で、不良の無意識的な欲望は叶ったといえるでしょう。その場で相手をボコせば、自分の力の大きさが周りに示すことができるから、なのです。何もせず、いきなり人をボコすのは、周りからは"ただのバカだ。何でも自分の好きなように動く無能者だ"と思われてしまうので、肩などがぶつかることは、自分の力の大きさを周りにアピールすることができるチャンスなのです。 ...終わりww PR Comments
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